六月二十三日待たず 月桃の花 散りました - 6/23 慰霊の日
こんにちは。
今日は、沖縄戦から74年、慰霊の日です。沖縄では休日になっています。
私は今、東京に住んでいますし、生まれは大阪ですが、一時期 親の転勤で小学生の頃5年ほど沖縄に住んでいました。
小学1~5年生まで住んでて、小学6年生で東京に帰ってきました。
帰ってきた時思ったことです。
この間、news zeroにりゅうちぇるさんが出てて仰っていましたが、こちらの慰霊の日の認知度の低さにショックを受けました。
というか、私も沖縄生まれではないし、親も沖縄生まれではないので、行かなければ私もよく知らなかったし、こんな認識ではなかったのだと思います。
これも帰ってきて思ったことですが、今本当に戦争の話を学校でしないんですよね。私は今18歳ですが、東京に帰ってきてからの小学校、中学校、高校。戦争の話をちゃんと取り上げて教えてくれた先生は、高校の国語の先生だけです。
沖縄の小学校では毎年、戦争体験したおじいおばあが、私たちにその悲惨さを教えてくれました。それに対して毎年感想や考えたことも書いていたし、戦争のことを考えることが普通のことでした。
それを考えることが、重いから嫌だとかそういう感じではないんですよね。もう、やるものなんですよ。学ぶものでした。
嫌でも、国語算数理科社会学ぶ。みたいな感じで。嫌でも知らなきゃいけないことだから。
沖縄に住んでた時は、戦争やればいいじゃん。と冗談でも言う人は1人もいませんでした。
こっちに帰ってきては冗談で言う人はいましたが。
沖縄に住んでると、不発弾処理などは日常茶飯事です。学校にも、注意してくださいの張り紙がしてありました。
「あー今日、不発弾処理だったの?」
そんな会話は「あ、今日地震あったの?」レベルであると思います。
それが普通になっていることが悲しいけれど、地震が嫌なことであっても大地震の悲惨さは皆少なくとも知っていると思います。詳しくはないとしても。
自然災害を例に出しましたが、戦争は人が起こすもの。
これを二度と起こしてはならない、と私は戦争を知らない世代にきちんと伝えていくべきだと思います。……と戦争を知らない世代が思っていますが(笑)
タイトルにした『六月二十三日待たず 月桃の花散りました』というフレーズは、6月に沖縄で聞いたり学校で歌ったりする『月桃』という曲からです。
戦争体験した世代が、これから少なくなってしまう。身をもってその悲惨さを伝える世代がいなくなってしまう。
その前に戦争の悲惨さを知って、認識する人が1人でも多くなること。映画でもテレビでもニュースでも本でもネットでも直接聞くでも何でも。
戦争をしてもいいと思っている人が多くなっている現実。他人事に考える人が多くなっている現実。
今日の慰霊の日のニュースでも、沖縄は慰霊の日を迎えました。と言ってました。沖縄の日ですが、日本人は皆考えなければならないものだと思います。
私もまだまだその悲惨さを知りません。
知っているだけでも、また違うと思います。
それを知って、今の普通が普通ではないことを認識出来たら。